パルテヱル物語~燕~

"with freedom,books,flowers,and the moon, who could not be happy?"

(自由と書物と花と月がある。これで幸せで
ない人間などいるものだろうか?)

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退屈な午前中の授業の終わりを告げる鐘の音が鳴り響き、教員の言葉をノートに書き留めるのに集中していた燕は思わずハッと顔を上げた。

「…これで今日の授業は終わりです。何か質問がある場合は、昼休みの間に…」

授業が終わった途端、教員の言葉がどこかぼんやりと聞こえ始めるのはどうしてなのか。

教員が教科書を閉じて教室から去る頃には、生徒たちの中から教員への関心はすっかりと消えているようで、教室はにわかに生徒たちの声であふれ始めた。
燕が教科書を片付けて、弁当箱を取りだし昼食の準備をしていると、

「ねえ、燕さん、今日のお昼ご飯、ご一緒にいかがかしら」

急に話しかけられ、そちらを見やる。
声をかけてきたのは同じ教室の生徒だった。
流行りの髪型に明るい色の袴。
一瞬時折昼食を共にしている雛菊かとも思ったが、そうではなく、たしか前の方の席に座っていたような、くらいしか印象の無い、かかわりの薄い生徒だ。

一体なぜ普段関わりのない自分を昼食なんかに、と、思ったがすぐに合点がいった。

声をかけてきた生徒の後ろには、やはり燕と関わりの薄い生徒たちが数人、こちらの様子をちらちらと伺っている。
心なしか、どの生徒も好奇心に満ちた表情だ。

「…えっと、ごめんなさい。今日はちょっと…」

燕は、普段昼食は仲の良い同級生か、そうでなければ一人で食べることが多い。
どちらにせよ、昼休みは自身の教室で過ごすことがほとんどだ。
社交的でないわけではないが、交友関係が限られている燕に、それでも彼女が声をかけてきてきたのは、おそらく。

「そうよね、鈴灯さんと召し上がられるわよね、急にごめんなさいね」

そう、最近燕の「姉」となった、鈴灯の話が聞きたい、ということだろう。

案の定、燕は昼食を共にする事を断ったというのに、誘ってきた生徒はぱっと嬉しそうな顔になった。
よくよく考えてみれば、声をかけてきた生徒も後ろで待っていた生徒も、この教室ではうわさ好きな面々が揃っているように見えた。

(こちらはどうしていいかわからないでいるっていうのに、いい気だな…)

彼女たちが離れていったのをみてから燕は席を立ち、見慣れない、昼休みのにぎやかさのある廊下に出る。
ちらちらと周りから見られているような気がしながら、燕は上級生の校舎のある方へと足を進めた。

自身の姉となった、鈴灯のもとへと向かう為に。

この学校には、ある伝統がある。
上級生と下級生が、お互いだけを自身の姉、妹という特別な存在であると認める、ブーケという関係だ。
今日、昼食に誘ってきた同級生たちは随分と耳が早いようで、燕が鈴灯とブーケになったのは、ついこの間のことだった。

あれは確か、
今と同じ昼休みの時間だったかと思う。

いつも昼食をとる同級生たちに軒並み予定があり、一人で昼食をとった日の事だ。
燕は、自身の弁当を食べ終わった後に、図書室に来ていた。
趣味の小説を書くためだ。
いつもはぼんやりと窓の外を眺めてしまったりもするのだが、その日は特に筆が乗ってそうはならず、一心不乱に文字を書き進めていた。

「あなた、燕さんよね?」

集中していたせいもあり、足音に気付けなかった燕は、びくり、と思わず肩を震わせて顔を上げた。

「あ、驚かせちゃった? 集中していた所を邪魔してしまったみたいね、ごめんなさい」

そこにいたのは、上級生の鈴灯だ。大ぶりのメガネを抑えながら、燕の机の正面から覗き込んできている。

「え、あ、…鈴灯、さん…」

「あら、わたしを知っているのね。あなたの教室の子たちとはあまり面識はないのだけど…」

知っているに決まっている。
鈴灯は、ある意味、紀京と並ぶ有名人だ。
ただし、意味合いはかなり異なるが。

「ええ、まあ…。…あの、わたしに、何かご用でしょうか…」

燕は鈴灯のことを知ってはいるが、一対一での面識は一切なかったはずだ。
思わず手元にある書きかけの小説を隠す。

「いいえ、特に用は無かったわ。でもあなた、上級生の間でいま話題になっているのよ。知ってたかしら?」

ある程度は知っていた。
閉鎖的な学校の中で、少しでも日常と変わった事が起こると、生徒たちはこぞって集まり、学校中がそのことでいっぱいになる。
中途半端な時期に編入してきたこともあり、一時期燕の周りはとにかくいつもざわついていたのだ。

「ええ、ある程度は」

それで鈴灯は声をかけてきたのか。

案外うわさ好きなのだろう。

鈴灯は、空いていた燕の正面の席に腰をかけて興味津々といったような表情だ。

「…あら、あなた、それもしかしてお話を書いているの?」

はた、と鈴灯の視線が燕の手元へと落ちる。
一拍多く心臓が跳ねたような気がした。
じわりと手に汗が滲んで、わずかに紙がわずかに潰れる。
指摘されることはわかっている、何度も言われてきたことだ。
何を言われるかも、よくわかる。
それでも、思わず言い訳の言葉が口をつく。

「あの、これは‥‥」

「あなたが入ってきたとき、この学校にあまりいない雰囲気だったから、とても素敵って思っていたの。でも、予想以上だったわ!」

「え‥‥」

馬鹿に、されるかと思った。女が小説なんて、何の意味もないと。
この学校に通っている以上、生徒たちの目的も将来も決まっている。小説を書くことはその目的にも将来にも関係なく、教師や級友たちには、物好き扱いされているのが現状だ。
こんな風に目を輝かせて、素敵だと、言いきられたのは初めてだった。

「自分を貫く女性は美しいわ。燕は、まだどの上級生からも声は掛けられていないのかしら。だったら、」

鈴灯の口元が楽しそうな笑みを浮かべた。

「‥‥わたしの妹にならない?」

ぎゅ、と心臓を掴まれたようだった。
趣味と人生は関係ないと割り切っていたつもりであった燕だったが、本当はどこかで、自分のこの趣味を認めてほしかったのかもしれない、自分が表現したいものを知ってもらいたかったのかもしれない。
そういった気持ちを全部、掴まれたような気がしたのだ。
求めていたものをくれた鈴灯の言葉を断れるほど、燕も大人にはなりきれていない。

その日から、燕は鈴灯の妹になった。

そして、今日は同級生たちに指摘された通り、燕が妹になってから初めて鈴灯との昼食をとる日でもあった。けれど。

(本当にいいのだろうか、わたしが鈴灯さんと昼食だなんて。だって、鈴灯さんは…)

鈴灯が紀京と並んでこの学校で有名人であるのは、この昼食の時間が最も如実に表していた。

彼女を有名人足らしめているのは、鈴灯の同級生、野ばらの存在だ。

友人が多いはずにも関わらず、彼女が昼食を級友たちと取る事はまずない。
鈴灯にはいつも、一緒に昼食をとる相手がいるのだ。それが野ばらだった。
遠くから見る彼女たちの姿は、燕にとっても尊敬の対象だった。

普段、目を引く美しさを持ちながらも近寄りがたい雰囲気の野ばらが、鈴灯の前ではまるで恋をしている少女のようにはにかみ、楽しげに話しているのだ。

鈴灯も、どちらかといえば明るく社交的な方であるから、友人は多い。
けれどそんな鈴灯も、どの友人といる時よりも、野ばらの前では明るく楽しそうに笑うのだ。
そんな、お互いを思いやり、信頼しあう関係性は、他の下級生同様燕を憧れさせた。
様々なものに人生を縛られた女生徒たちに許された、わずかな自由時間は、結局は卒業前に待つことへの焦燥感のこともあり、決して常に穏やかなものではない。そんな中、特別なつながりというものは、彼女たちの心を支える大きな存在だった。
だからこそ、この学校には生徒たちの間でひそやかに姉妹という関係性が紡がれていったのだろう。
鈴灯と野ばらの関係性は、そんな少女たちの求めるものを体現したかのようなものだったのだ。

妹に、と言われ、自分には関わりが薄いと思っていたブーケという存在になる時、野ばらのことを思わないわけではなかった。

本当に自分でもいいのだろうか、という気持ちが無かったわけではない。

だというのに、鈴灯に声をかけられて、妹に、と声をかけてもらった時、燕の心は大きく揺さぶられた。誰かに気付いてほしい気持ちを認めてもらい、どこか安堵したような気持ちを覚えた。

ずっと否定され、誰にも認めてもらえなかった感情だ。

誰にももらえなかった賞賛だ。

鈴灯から与えられたそれを、例え僅かな物だとしても、燕は、自分一人のものにしたい、と思ってしまったのだった。
けれど、鈴灯に妹に選ばれた後、野ばらに一番最初に抱いてしまった感情は、そんな野ばらを気遣うようなものではなく、ほんのわずかな嫉妬だった。

燕が鈴灯との特別なつながりを手に入れる前にそれを享受していたのは野ばらだ。

自身がそうだったということもあり、野ばらがそれを与えられた時の気持ちがどういったものだったかは想像に難くない。
そうして生まれたのは、自分勝手な嫉妬の気持ちだった。

そんなことを思いながら、ふと廊下の窓を覗き込むと、そこはちょうど下級生の校舎と上級生の校舎を繋ぐ渡り廊下であったからか、窓から見えるのは上級生の使っている裏庭だった。
ちらりとのぞいただけのつもりだったが、そこに見覚えのある黒い着物を見つけて、向こうから見えるはずもないのに思わず燕は窓の淵に体を隠した。

そこにいたのは、野ばらだった。

窓の淵からそっと顔をのぞかせてみると、野ばらは、誰かを待って本でも読んでいるのか、広げた敷き布の上に置いた弁当箱に手も付けずに、手元に視線を落としている。
彼女が誰を待ってそうしているのかは明白だった。

彼女は鈴灯を待っているのだ。

燕と昼食の約束をしており、今日は野ばらの下に現れる事は無いだろう鈴灯を。
時折顔を上げては、しばらくしてまたうつむくその姿は、彼女の美しさも相まって、燕の目には哀れに映った。
陳腐な表現ではあるが、まるで悲劇のヒロインのようだ。
けれどその背中は、なぜだか、いつか燕もそうなるのだと、そう思わせるようなところもあり、また燕の心臓がどきりとはねたような気がした。

(…そうだ、野ばらさんが鈴灯さんを見る目が、あんなにやさしい事を、鈴灯さんも知っているはずなのに)

燕だって、他の下級生だって、それを知っている。

それでも鈴灯は燕を選んだ。

野ばらは下級生ではないから、この学校の姉妹の関係にはなれないというのは分かるが、それでも特別なつながりであった事には間違いない。
なにも、わざわざ妹を選ばなくてもいいだろうに、と思ったのも燕の本音だ。
この学校の伝統は、あくまで生徒たちの中だけの秘匿されたもので、必ずしもすべての生徒がそれを守り、姉や妹を決めなくてはいけないわけではないのだ。
そのことを、燕よりも長くこの悪口にいる鈴灯が知らないはずはない。

けれど、鈴灯は燕を選んだ。

野ばらという存在がいながら、もう一人、特別な存在を作ったのだ。
きっと、それは野ばらと燕に限った話ではない。つい先日まで、鈴灯の唯一であったはずの野ばらが、来ることのない鈴灯を待つはめになっているのだ。
野ばらほど長い付き合いがあるわけでもない、そばにずっと寄り添っていたわけでもない。
何故自分だけ、そうならないとどうして思えるのだ。

鈴灯は、とかく自分が楽しいと思える人生が全てなのだろう。

ふと、燕はどこか冷静にそう思う。
ただ自分が楽しいと思う事、美しいと思うものを追いかけては捕まえて、そしてまた次を見つけて追いかける。
気まぐれなわけでもないのだろう。
彼女は自分が求めるものに対して忠実に動いているだけだ。
そして、この学校に在学している間は、ずっとその繰り返し。
そして、たまたま野ばらの次が燕だっただけなのだ、きっと。
自分も野ばらと同じじゃないか、と燕は思う。
野ばらと鈴灯の関係性に、わずかな嫉妬は覚えているが、他の同級生同様、もちろん憧れはしていた。
今でも、二人の関係は、ブーケという伝統のあるこの学校でさえも唯一無二の存在とも言えるほど、つながりの深いものに見えた。
けれど、気づいてみれば、野ばらも燕も同じ、鈴灯の人生の通り道に落ちていた、他よりも少しだけ興味深いだけの存在なのだと思い知らされる。

(なんて虚しい…)

きっと鈴灯は卒業の近づいたころ、周りの上級生のように何事も無かったかのようにけろりと結婚をして、あのまぶしい笑顔で野ばらと燕に夫の紹介でもするのだろう。
自分たちに特別なつながりをくれたのと同じように、他の人にも彼女の特別は捧げられるのだろう。

あれだけ鈴灯のそばにいた野ばらでさえそうなのだ。

燕は、どちらかと言えば冷静な方だ。

自分の感情も客観的に見る事が出来る。
だからこそ、一人待つ野ばらを見て、どうしても自分に重ねてしまったのだ。
けれど、きっとそこまでわかっていながら、燕は気づいてしまってもいた。

自分は、一度手に入れてしまったこの特別を、手放すことなどできないのだろうと。

燕は、窓から身を離し、廊下の反対側の壁にぺたん、と背中を付けた。燕の足は、すっかり上級生の校舎へと向かうのをやめてしまった。
やるせない気持ちを抱え、燕はその先へ進む事も出来ず、けれど戻る事も出来ず、下で鈴灯を待つ野ばらのように、ただただ廊下に立ち尽くしていた。



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つぼみたちはやがて、大輪の花を開く… さぁ、華やかなるパルテエル女學校の開校です。 上級生と下級生が織り成す甘美でレトロな"S"の世界を是非お楽しみください。

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