パルテヱル物語~野ばら~

"memento mori"

(いつか死ぬことを忘れるなかれ)

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「あなた、本ばかり読んで、あまり他の人とは関わらないのね」

最初は、他の人と同じだと思った。
本の世界にのめり込み、人との交流をないがしろにする自分を呆れに来たのか、見当違いに孤独を哀れんで声をかけたのか。

「好きなものを貫くって素敵ね!自分を持って堂々としている女性は美しいわ!わたし、そういう人って大好きなの」

けれど、彼女は違った。彼女だけは。

「ねえ、わたしたちきっとお友達になれるんじゃないかしら?」

その時、同級生たちとの時間を差し置いてまで読んでいた本のタイトルはなんだったか。一体どんな話だったのか。
ただ記憶に残るのは、机に映る木漏れ日、ページの向こうに見えた紫の袖、そして、顔を上げた先にある、木漏れ日よりも眩しい、彼女の笑顔だった。

昼餉は、野ばらにとって一日で最も楽しみな時間だ。
授業の終わりを告げる鐘が鳴り、教師の去った教室には生徒たちの少々かしましいざわめきが戻ってきた。
日も高くなってきた頃、4限ある午前の授業がようやく終わり、これからしばらくは昼食のために設けられた休み時間だ。
生徒たちは、自身の教室だったり、食堂だったり、各々の場所で話に花を咲かせながら昼食を取る。

そんな、一日の中で生徒たちに唯一設けられた自由時間だというのに、同級生たちは、近くの席の生徒と、さっきの授業は分かりづらかったわ、あそこは試験に出るのかしら、と、他愛もない話をして、ほとんどクラスから出ていく者はいない。

昼食を取らないわけではない。
せっかくの昼休みを無為に過ごす訳でもない。

ただ、彼女たちは待っているのだ。姉妹の約束をした下級生の妹たちが、自由時間を姉妹二人きりで過ごすため、自身を迎えに来るのを。
そんな中、野ばらは、妹たちを待つ同級生たちの話には入らず、授業が終わってすぐにカバンと一緒に机に掛けていた袋を取り席を立った。落ち着いた色合いのその中身は、揃いのお弁当箱が二つ。
野ばらは、生徒たちのかしましい笑い声をくぐりぬけ、足早に教室を出た。
大好きな時間を過ごす、お気に入りの場所へと向かうために。

生徒同士の交流を重んじるこの学校には、数人で集まって昼食を取る場所が教室以外にもいくつか用意されている。
校庭の端にある広いベンチや、中庭にある東屋なんかがそうだ。
少し廊下の窓をのぞけば、数人の生徒達が楽しそうに話しながら昼食を取る姿がそこらじゅうに見える。ただし、それはあくまで大人数の集まりの話だ。
広く古い校舎には、食事のために指定された場所以外にも、いわゆる「秘密の場所」というのがいくらでもある。

「野ばら!」

名前を呼ばれて、野ばらは読んでいた本から顔を上げる。

「遅いわ、鈴灯。先に食べてしまおうかと思った」

こちらに向かって早足で向かってくる見慣れた紫の袴姿。野ばらと同じ上級生の鈴灯だ。

「これでも急いで来たのよ!あの化学教師ったら話が長くて仕方ないわ」

どうやら彼女の昼前最後の授業は化学だったらしい。野ばらの敷き布の上に腰掛けた鈴灯の短い髪は、いつもより少しばかり乱れている。どうやら急いだというのは本当のようだ。野ばらは読んでいた本を閉じ、鈴灯の髪を直してやる。
あら、ごめんあそばせ、とふざけてみせる鈴灯は、子供扱いされているのにも関わらずどこか楽しそうだ。

「まあ、あの先生ならやりかねないわ。それで五分の遅刻なら許してあげましょう」

野ばらはそんな鈴灯をみて思わず口元を緩ませながら、二つあった弁当箱のうちの一つを彼女に手渡した。
2人が今いる、教室棟の裏側にある目立たない小さな裏庭。それが野ばらたちの秘密の場所だった。
野ばらと鈴灯は、いつもそこで二人きり、おしゃべりに興じながら昼食を共にしていた。野ばらにとっては、繰り返される毎日の中で一番の楽しみにしている特別な時間だ。
二人で食べる弁当は、いつも野ばらが用意している。この学校に通うのは花嫁修業の意味が強いというのに、料理をするのが苦手だという鈴灯のため、野ばらが弁当を用意するようになってどれだけ経つだろう。いつしか、彼女が喜ぶ食事を作るのも、野ばらの楽しみの一つになっていた。

今日の弁当箱は、以前鈴灯が食べてみたいと言っていた甘い卵焼きを入れてあった。口に入れた鈴灯の反応を見るに気に入ってもらえたようで、思わずまた笑みがこぼれる。鈴灯が楽しそうだと、なぜだか自分も楽しいような気がしてくる。本を読んでいて、主人公の気持ちに感情移入するのとはまた違う、不思議な気持ちだ。

「少し前に、鈴灯が気になるって言っていたから。なんとなく覚えていたの」

甘い卵焼き、と続けた野ばらの言葉に、鈴灯はぱっと嬉しそうに顔を綻ばせる。鈴灯のこういう、気持ちが素直に表情に出るところが、野ばらが彼女の心地よく過ごせる一つの理由なのかもしれない。
野ばらは、これまで周りにあまり心を開いてこなかった。それは生来の人見知りな性格のせいもあり、言葉数自体も少ないせいもあった。自分から声をかけることも出来なければ、周りの同級生や他学年の生徒達も、野ばらに声をかける時はどこか遠慮をしているようで、上手く距離を縮めることがなかったのだ。
代わりに、野ばらは読書を愛した。
本だけは、野ばらにいつも寄り添ってくれていた。主人公たちは野ばらに代わり友を作り、冒険をし、そして時に恋をする。野ばらにとっては、その時々で気持ちが変わる周りの人間たちとの交流よりも、結末の決まった物語の方がよっぽど心地がよかったのだ。

「何を作っても野ばらの手料理というだけでどんなものにも勝るわ!」

この学校で、鈴灯と出会うまでは。

この学校にはある伝統がある。
上級生と下級生が、お互いだけを自身の姉、妹という特別な存在であると認める、ブーケという関係だ。
大抵、この時期にもなるとちらほらとブーケの関係になる生徒達がいる。
実際野ばらと同じ教室の生徒たちにも妹がいる者が何人かいる。未来の決まった女学生にとって、それが自分で決める唯一の心のつながりなのかもしれない。

けれど。

「わたし、妹なんていらないわ。鈴灯がいれば、それでいいの」

思わず本音が口を零れた。
みんな、限られたこの時間で特別をひとつ決めるというのなら。唯一の心のつながりを選ぶというのなら。

『ねえ、わたしたちきっとお友達になれるんじゃないかしら?』

そう言って、一人物語の世界に閉じこもる野ばらに、屈託のない笑顔を向けてくれた鈴灯以外、考えられなかった。

「そう」

野ばらの言葉に、鈴灯が大ぶりの眼鏡の奥で目を細める。
昼休みを待つ時間も、夜、次の日の弁当を考えている時間も、朝待ち合わせ場所で会う前も、放課後の帰り道で別れた後も、大好きな本を読んでいる時間でさえ。思えばいつも、鈴灯のことを心のどこかで考えている。
自分を本当に理解して、優しく笑顔を向けて、導いてくれる鈴灯が特別でなければなんだと言うのか。

(わたしに、妹なんていらない。下級生のことを考えてる時間なんてない。ただ、ずっとあなたのことだけおもっていたい。こんなわたしを友達だと言ってくれた、あなたもきっと、)

鈴灯の唇が、微笑みを称えながら開かれる。

「わたしは、妹を見つけたわ」

鈴灯は、気持ちが直ぐに表情に出る。
野ばらは、話しているうちに俯けていた顔を上げた。言葉を選ぶようにゆっくりとそう言った鈴灯の顔は嬉しそうに笑っていた。新しいおもちゃを与えられた子供のように無邪気に、野ばらに初めて声を掛けてくれた、あの時のように眩しく。
独りよがりの、などと、いつかに読んだ三文小説の一文が野ばらの頭を過り、彼女をあざ笑うかのように優しく花の香りのする風が二人の間を吹き抜けて行く。
野ばらが、いつもそばで微笑みをたたえ、自分だけを映していると信じていた鈴灯の瞳が、どこか遠く感じるようだった。



✾大正百合喫茶✾ パルテヱル女學校

つぼみたちはやがて、大輪の花を開く… さぁ、華やかなるパルテエル女學校の開校です。 上級生と下級生が織り成す甘美でレトロな"S"の世界を是非お楽しみください。

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