パルテヱル物語〜紀京〜
生きることへの絶望なしに生きることへの愛はない
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もうすぐ雨が降る時の、カビ臭い匂いが鼻をついた。課題のためにいくつかの資料と格闘していた少女は突然紙を巻き上げた風のその匂いに窓の外を見やる。
「あれは、…紀京さま、と、確か下級の。」
もうすぐ雨が降るのに、また物好きなところで。
少女がいる図書室からは体育館の裏手が見える。見えるといっても、少女が気に入っている座席の少ない方の学習スペースの端の窓際からわずかに覗ける程度で、大抵少女が座ってしまっているから実質的見えているのは少女にのみだ。ここからでは声は届かず、下級生の彼女が紀京に何かを必死に伝えている様だけが伝わってくる。
「あ、」
コミュニケーションと言えたのだろうか、その後あまり多くはない紀京の言葉を聞いて彼女は走り去った。
「ごめんね、慕ってくれる気持ちは嬉しいけど、それには応えられない。私は、君が思うような人じゃないから。」
話し終えたか終えないかのうちに走り去る目の前の少女。いつものことだから、と追いかけるでもなくその場にしゃがみ込んだ。むわりと土から湿度の高い匂いがする。袴が汚れるのも厭わず紀京は深くため息をついた。いつもそうだ、皆が愛する紀京像があって、皆はそれを私だと思ってる。たった数年なんの関係になんの夢を見ているんだか、
みゃお、
不意に鳴き声が聞こえた。紀京はぱ、と顔を上げ鳴き声の主を見た途端誰にも見せたことのないような柔らかい笑顔でーーーー。
「燕、課題終わった?」
声をかけられて少女が振り返る。適当にめくられたままのページが課題の進捗を如実に表していた。
「いや…それが…うん、まあ大丈夫。帰る?雛菊さん。」
借りたのだろうか、大きな本を抱えて少女、燕に話しかけた雛菊は小さくため息をつく。
「また考え事?」
「そんな感じかなあ、あ、ねえ、雛菊さん。」
「なに?」
「紀京さまって、笑顔可愛いよね。」
この一冊だけ借りて帰ろう。荷物をまとめて席を立った。
「やめておいた方がいいよ、倍率高いから。紀京様。」
「まさか!妹より猫のこと愛してそうな人は嫌だな。」
それに紀京さま、可愛い女の子見てる時より猫見てる時の方が、ずっと可愛い顔なさってたから。
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